中長期から短期予測をもとに当面の企業目的、目標を設計し、その目標を実現するために組織目標が掲げられ、所属組織目標、個々の目標の順におとし込まれる。いわゆる目標のブレイクダウンがなされその達成度合いやその成果に応じて評価が決まる目標管理制度(MBO)をとっている企業が多いと思います。まさにこちらがコーゼーション的アプローチ、一方、前回のブログにも記載しましたが、エフェクチュエーションに基づくアプローチとは、予測をもとにしない戦略を用いて、所与の手段から新しい目的を創りだそうとする取組となります。未来予測の文脈で考えると、コーゼーションの論理の前提が「未来を予測できる範囲において、我々は未来をコントロール(制御)することができる」とすることであり、エフェクチュエーションの論理の前提は、「未来をコントロール(制御)できる範囲において、我々はそれを必要がない」という考え方となります。
どちらが良い悪いというものではなく、未来が予測できるなら、コーゼーション、未来が予測できないならエフェクチュエーション、未来予測の確実性度合に応じて使い分けるのが良いのでは?個人的にはこういった仮説出しをしているところです。ただ多くの日本企業、特に大企業ではコーゼーション的アプローチがかなり習慣づけられていて、エフェクチュエーション的なアプローチに抵抗感があるかもしれませんし、そもそもエフェクチュエーションの考え方自体がまだまだ浸透していないのが実情かとおもいます。
自分がエフェクチュエーション理論に知って間もないころに、エフェクチュエーションが今の日本に必要なのではないか?と感じたのは、このエフェクチュエーション理論を導き出したサラス・サラスバシー氏が来日した際のある対談についての投稿記事を読んだ時です。
≪コトラーの時代の理論では、狩猟採集民モデル(Hunter-Gatherer Model)と表現され、市場というものはあらかじめ存在していて、その発掘・発見をするのだ、という考え方が主流でした。つまり狩人のように茂みに分け入って、どこに市場があるのかと探していくわけです。獲物を探す、あるいは土地を獲得しに行く。その見返りとして市場・リーダーシップを得るという考え方です。一方、エフェクチュエーションは、「農耕」に近く、畑を耕し、水をやり、市場を生み出し成長させるという考え方。≫
サラス・サラスバシー氏✕博報堂 安藤元博 エフェクチュエーションは「コトラーのマーケティング」を超えるか(前編)から引用
マーケティング理論も含め経営学理論のほとんどが西欧からもたらされたもの、1990年代以降、日本企業の多くがそれまでのいわゆる日本的経営に、西欧発の経営戦略論や組織開発理論を適用、適応、適合させてきた30年が続いています。農耕民族と狩猟民族、社会の発展においての思想的背景や、そもそも人類が環境適応していく中で築かれてきた民族の風土背景を考えたとき、日本人はそもそも農耕民族、エフェクチュエーションが農耕民族的思考パターンであると考えたとき、まさに日本になじむのではないかと直観的に感じたからなのです。