たしかに、パーソナルスペースを大事にする多くの人にとっては、「気味が悪い」「不安」「危険に感じる」というのがおおかたの意見ですよね。
でも、本当に単純にそうなのか・・・
隣に座られてしまった人だけの視点だと、「キモチワルイ
」でカタがついてしまうのですが、もっと全体的な視点でみるとどうなるか。
バラバラに席を取るより、奥から順に詰めていったほうが、効率がいい、ということはあると思います。
全員が着席しないと始まらないようなイベントのときは、あいている席を探すのが大変で、それのせいで開演が遅れたりすることがあるかもしれません。
全体として物事がスムーズに進むようにと、本当は離れて座りたいのに、使命感をもって隣に座る(奥から詰める)人もいるのかも・・・。
たとえば、そうやって作った大きなスペースに、たまたま家族連れが来て、並んで座らせてあげられたことに満足した経験があるとか。
たしかに『トナラー』は、一次感情では「うおっ
」ってなりますが、二次思考で、「よかれと思ってやってるのかな?」と、少し冷静にみてあげるのもいい・・・のかも。
これは、多くのマイノリティに共通しそうなことだと思いますね・・・
よいかわるいかは別として、ただただ批判するだけでなく、「よかれと思って」の点は認め(理解し)つつも、「多くの人にとって、それはよくないと思われることなのだよ」ということを丁寧に伝えていけたらいいと思います。
思い出したのですが、電話応対なんかでもよくあるのですが、ものすごく早口に話すオペレータさん。
フツーに考えると、「早口だ。もっとゆっくり話しなさい」とカンタンにフィードバックしがちです。
しかし、オペレータさん目線に立つと、「なんか急いでそうなお客様だったから、こっちも急いであげようと、早口になった」という事情があるかもしれない。
まさに、良かれと思った結果、単純に話すスピードが速くなるだけになり、よくない結果になってしまったパターン。
こういうときに、「ゆっくり話しなさい」とだけ言っても、「だってお客様、急いでますやん
ゆっくり話してる場合ちゃいますやん」と反発を生み、まったく腑に落ちない恐れがあります。
そこは、「急いであげようとする姿勢は良かった。でも、そのせいで早口になってしまって、聞き取れないようなことがあると、同じことを2回説明することになったり、よく理解してもらえないままになったりと、よくないことが起きる恐れがある。だから、話す速度は落としつつも、説明の言葉を厳選して伝えるとか、過度に丁寧な言葉遣いにしないとか、別のところで工夫したほうがいいよ」と伝えたほうが、きっと納得してもらえると思う。
・・・「トナラー」から急に電話応対の話になって、よくわからない話でした。
要は、「良かれと思って」の部分を、納得はしなくても理解はしてあげたいというのが、わたくしのスタンスでございます。自分にもそのケがあるので・・・。
気をつかって大変なこともありますが、一生のテーマとしてやっていきますとも~